09-07-10

先日、夏休みをいただいて、スピリチュアルスポットとして最近人気の高いシャスタ山に行きました。シャスタ山は、カリフォルニア北部にある4322mの山です。私はこの土地のおだやかな雰囲気がとても好きで、四年連続行っています。

 

夏のシャスタ山には高山植物が咲き、今年は山頂に雪がまだ残っていて、小川には水があふれ、たいへん美しかったです。山からすばらしい気が満ち溢れています。

 

シャスタの一番の名所は、パンサーメドーといわれる場所です。ここは先住民が聖地として大切にしている場所で、そこには山からの水が湧き出ている源泉があります。その源泉は特に神聖な場所とされているので、人が直接入れないように白いつなが張られていました。その源泉の周りの白いつなの外側に、人々は腰を下ろして、しばし瞑想にふけったり、高山植物の咲く野原を眺めながらゆったりと過ごしています。

 

今回、私がその源泉を訪れたとき、ある女性が水筒を片手に、そのつなをくぐって入って源泉から直接水をくもうとしていました。この源泉には直接手を触れてはいけないと私は聞いていたので、彼女の行動にはとてもびっくりしてしまいました。彼女の行動を止めたい、でもどのように言おうかと、内心かなり迷いました。しかも、ここはスピリチュアルな場所。もしその女性と口論になって、もし源泉の神様(?)が聞いていたとしたら、いったいどのように思われるだろうかと、自分の心にしばし問いました。私は先住民の信仰はよく分からないけれど、この源泉は日本の神社のご神木などと同じ意味を持つものなのだろうと直感しました。

 

結局、私は自分の心に正直に従おうと決め、「私はあなたに源泉から直接水をくむのをやめてほしい。白いつなが張ってありますよ。あなたが直接水を汲むのを見るのは、私は心地悪いの。なぜならば、私はこの源泉を神聖なまま保っていたいと思うから。」と、できるだけおだやかな口調で女性に語りかけました。その女性は不満そうでしたけれど、「あなたが心地悪いのならやめておくわ。」と言い、その場を立ち去りました。私は彼女に「私のお願いを聞いてくれてどうもありがとう」と心から言いました。

 

私は自分の行動が正しいのかどうか、正直、今も分かりません。でも、自分の心に従い、言いたいことを、相手を尊重しながら言うことができたことを私は後悔していません。

 

スピリチュアルスポットは、他の生活の場所と全く同じように、そこには人が行きかい、そしてコミュニケーションのやりとりがあるという点では、特別な場所ではないことをこのやりとりで私は学びました。

 

私はコミュニケーションの専門家として、健康的に言いたいことを言う方法を、セッショの中で希望する方々にお伝えしています。しかし、以前は、私は言いたいことをためらわずに言うことなど簡単にできませんでした。言いたいことを心の中に溜め込み、そのうちに爆発して怒り出すこともよくありました。言わずに人に私の気持ちを察してもらおうと思っていたのです。また、気持ちをため込み、ストレスになって体の不調をおぼえることすらありました。しかし、アメリカに来てから、自己主張する人々のいるこの国で、言わないですます方法では生きていけないとようやく気づいたのです。また、言わないでためこむやり方は、日本であってもどの文化でも、不健康なコミュニケーションだということも学びました。今は健康的なコミュニケーションを練習したので、今では言いたいことをずいぶん言えるようになりました。でも現在も日々練習が必要です。

 

あの女性に、「源泉のお水、汲んで飲みたいんですよね」ともっと共感を示したらよかったかな、と言い方についてはまだまだ試行錯誤中です。私もみなさんと同じ、成長途中の人間です。私と一緒に、健康的なコミュニケーションについて考えてみませんか。


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