こころにやさしいブログ

3-11-2012

 

震災から一年が過ぎようとしています。改めて犠牲者の方に謹んでご冥福をお祈り申し上げます。そして被害に遭われた方、震災のことでこころを痛めている方々にお見舞いを申し上げます。

 

震災のときにブログを更新して以来、正直なところ、文字をつづる気持ちになれませんでした。私にとってこの一年は、短かく、また、とてつもなく長いように感じられました。不思議な感覚のまま時を過ごしていました。混乱した気持ちの整理がいまもまだ完全にはできていません。私はどんなできごともなにかの意味があるものと信じていますが、今回の震災は犠牲がとてつもなく大きい。その現実に圧倒されています。

 

私は犠牲になられた方々から、人間として今後の生き方を問われているような気がしてなりません。犠牲になられた方の尊い命の重さを思い、私はいったいこれからどのように残りの人生を生きていったらよいのだろうと、自分の命、人生を改めて見つめなおしています。また、心理カウンセラーとして、被災者や日系コミュニティーの方たちにどんなことができるのだろうかとも考えています。

 

ここカリフォルニアの私のオフィスでお会いする日本人のクライアントさんたちは、たとえ被災されていなくても、こころに大きな衝撃を受けていらっしゃることがひしひしと私の胸に伝わってきました。震災後、多くの方々がいろいろな形で揺り動かされています。夫婦や家族との衝突が大きくなられた方、不安を強く感じられている方、今までの生き方を見直す転換期を迎えられている方がいらっしゃいます。2012年の今、多くの方がご自分のこころ、お気持ち、感覚に、以前より正直になられているように私には見えます。

 

精神性を説くある指導者のことばが私の胸に響きました。「自分の中にすべての答えがある。各自のこころの中に人生のナビがある。そのナビをうまく使いこなせるようになれば人生において行きたいところに行くことができる。」

 

震災は私がコントロールできないことです。でも自分のこころの中にあるナビにアクセスすることが上手になれば、どんなことが起きようともぶれにくくなるのかなと希望もわいてきました。私はそこに光を見出しました。どんな状況でも幸せは自分で作り出すことができます。

 

私はセッションの中で、自分自身のこころと対話し、充実した人生を歩みたいと希望される方、ご自分のこころの中にあるナビとうまくアクセスしたいと希望される方のお手伝いをさせていただけたら嬉しいです。私はこのような形で命を賭して私たちに何かを伝えようとしている犠牲者の方を弔わせていただこうと決意しています。

ホームページに POMR へのリンクを作成しました。3/11 に発生した震災後の心のケアについて、とても参考になりますので、皆さんも一度訪問してみては、いかがでしょうか。

東北関東大震災の被害に合われた方、そのご家族、そして日本の現状に心を痛めているみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。

 

大地震、津波、そして原発事故を、報道や日本の家族からの連絡で見聞きし、私はたいへんなショックを受け、ことばが出ませんでした。被災され、愛する家族、ともだち、家、街、仕事を失ってたいへん辛い思いをしている方々が、寒さに震え、不自由な生活を強いられ、おなかをすかせている様子を知り、いてもたってもいられません。胸が張り裂けそうです。

 

東北地方に私の家族や親族はほとんど住んでいないのですが、カウンセリング技法を共に真剣に学んでいる仲間がおおぜい住んでいます。心理カウンセラー、保育士、精神科医、保健婦、教師、警察官、児童相談所職員の方々です。なんとか彼らは生き延びることができたようですが、日常生活でたいへんな苦労をしています。そんな中、自分の辛さをひとまず横に置き、専門家として人を助けるお仕事を一心不乱で遂行しています。体を休める暇もありません。彼らの姿を想像すると涙が出てきます。すぐかけつけてそばでお手伝いをしたい。そんな衝動に駆られます。

 

ご家族や郷里が被災された方々は、たいへんおこころを痛めていらっしゃることとお察しいたします。なにをしてあげたらいいのか、今帰ったほうがいいのか、ここに居たほうがいいのか、オロオロとしてなにも手につかないかもしれません。

 

また、被災の様子を繰り返しテレビの映像で見ることによって、被災したかのように、たいへん不安になったり、眠れなくなったり、涙が止まらない、体が疲れる、身体症状が出る方も大勢いることでしょう。私も津波の様子を見て、たいへん怖かったです。気持ちがどんよりして、こころのエネルギーがシューシューと音をたてて抜けてしまう感じがしました。

 

1000年に一度といわれる大きな災害なのですから、こういった反応が出ても不思議ではないと私は思います。まずは、ご自分の反応をきちんと認め、向き合ってあげて、充分自分をいたわってください。そして、お友達や家族に会って、「怖い、不安だ」という気持ちをことばにして分かち合ってください。こういうときには一人で心配や恐れに耐えなくてもいいんです。

 

こどもさんで不安になっている場合、簡単に災害のことを説明してあげたり、安心してあげられるようなことばをかけてあげてください。「地震や津波が起きたけれど、今は落ち着く方向に向かっているよ。みんなで助け合って暮らしているから、だいじょうぶだよ」と。また、抱きしめてあげたり、そばにいたり、スキンシップを多くするといいでしょう。

 

そして、専門家に相談してください。私は、今回の震災のことがきっかけで不安になられている方々には、無料で相談を承っています。気持ちをおしこめると後で心身の健康に影響が出てきます。私は、20年、30年後に、気持ちが解消できなくて心身の症状が後になって出てこられたクライアントさんとワークをした経験もあります。症状が出るまえに予防してくださいね。ネガティブな気持ちが出てくるのに、無理に明るくしようなんていうことも、私たちの心身にとっては優しいことではありません。


また、日本に被災したご家族をお持ちで、どのように支えたらいいか分からないという方などもぜひご相談ください。被災していないあなたが精神的に大きな反応があるのに放っておいたら、効果的にサポートすることができません。また、心理的に見て、被災者にこんなふうに接したらいい、これはしないほうがいいというポイントもあります。

 

今回のように大きくこころを揺さぶられるできごと、つまりトラウマを扱うことは、たいへん難しいので、どうぞ専門家の助けを遠慮なく受けてください。喜んでお手伝いいたします。

 

事態が早く収束し、自然が回復し、街が元のように平和な状態に戻るよう、こころよりお祈りしています。みなさまがご健康で安全に暮らせることを願っています。


12-16-2010

 

数年前、じゅうたんの張替えの見積もりをしてもらうために、専門家に自宅に来ていただいたことがありました。

 

雑談の中で、スペイン・中国系アメリカ人のこの男性Bさんが「家族に緊急のできごと」ということばを何度も使うことが、妙に私の心に引っかかりました。初対面だった彼に私は、「ご家族に緊急のできごとって、いったい何が起こったの?」と静かにたずねました。

 

彼は一呼吸ついた後、「実はね、僕の妻が、娘を出産した直後に亡くなったんだよ。二ヶ月前のできごとさ。」と、とても悲しそうな目で私と夫に説明を始めました。彼の奥様は末期がんだったそうです。亡くなるまで奥様も医師も、もちろんBさんも、この病気に気づかなかったといいます。とてもまれなできごとです。

 

私の夫は、この話を聞くことがつらくなった様子で、 "I am very sorry."と言ったきり、絶句してしまいました。どうやら夫はBさんの立場にたち、妻を亡くした夫の気持ちを想像してしまい、いたたまれなくなったようです。

 

私もこの悲劇にたいへんショックを受けました。「赤ちゃんを産んだばかりのお母さんが、すぐに光の国に行かなくてはならないなんて、こんなにも運命は残酷なんだろう。」と。一方で、私は直感的に「Bさんは私にこのことを話したいのかな。」と感じたので、彼の気持ちや考えをそのまままっすぐ心で受け取ろうと努力しました。

 

Bさんは妻への愛、妻が祖国で出産しなければならなかったいきさつ、妻の健康に彼は十分に気を配っていたこと、そして人間の生と死、死後の魂についての考え・・・。彼は妻を亡くしたショック、深い悲しみ、怒り、あきらめ、そして赤ちゃんが生まれた人生最高のしあわせ、喜びというたいへん複雑な感情をたくさんことばにして語りました。そして受け入れがたい事実だけれど、受け入れて娘とともに人生を前進しようと努力しているということも告げました。

 

最後に、Bさんは「この話は、僕の身近な家族と上司だけにしか話していないんだよね。でも君に聞いてもらってほんとうによかったよ。」と落ち着きを取り戻し、そしてじゅうたんの見積もりの仕事をきっちりとしてくださり、帰って行かれました。

 

このように初対面でも、相手の気持ちにしっかり共感できると、相手の心と自分の心がつながることができます。この出会いは一瞬で、その後、私たちはBさんに再びお会いすることはありませんでした。でも、私には忘れることのできない貴重な話を、Bさんは聞かせてくださいました。私は、こうして夫と健康でともに暮らし、家のじゅうたんをきれいにするという、日常のありふれた、しかし、同時にとてもしあわせな、とてもぜいたくな瞬間を過ごしていることに気づかされました。

 

夫はBさんの気持ちに反応しました。しかし、Bさんに共感してBさんの気持ちをそのまま受け止めたのではなく、自分自身の感情に圧倒され、ことばで自分の気持ちをBさんに返すことができませんでした。ですから、Bさんは夫には目を向けず、私にまっすぐ向かって話されたのでしょう。Bさんは、夫にはこれ以上、正直な気持ちを話したところで聞いてもらえないと察しました。

 

夫の態度は、共感ではなく、共鳴です。相手の感情にただ揺り動かされて反応している状態です。実は私も14年ほどまえは、このときの夫と全く同じ状態でした。末期がんに犯されていた友人に寄り添うことができず、彼女の気持ちを心から聞いてあげることができませんでした。私が友人の体験を聞くことがとても怖かったです。私自身の死を意識させられるからです。また、友人とのお別れの時期が迫っているかもしれないことは、とても悲しかったし、そしてなんと言ってあげていいか分からなかったのです。臨床心理学を勉強してお話を聞くトレーニングをたくさん受けていた私でしたが、情けないことに、自分の友人の気持ちも友人の気持ちを受け止めることはできませんでした。友人は、病の床で人とのつながりを求めているときに、私という友人に置き去りにされたわけですから、とてもさびしかったでしょうね。そのことは今でも悔やんでいます。

 

あれから、生と死を巡るさまざまな講習会に参加し、いろいろな種類の本(臨床心理学、スピリチュアル、ニューエイジなど)を読みあさり、生死、人生についていろいろな考えを持つ人たちに会いに行ってお話を聞き、学びました。そして、死をきちんと考えることは、一生懸命生きることにつながるので、とても大切だと今の私は考えるようになりました。そういう形で友人は私の心に今も生きています。


病で苦しむ人ばかりでなく、あなたがもし他の人と仲良くなりたいのでしたら、相手の気持ちを理解し、その気持ちに共感していることを、ことばでたくさん伝えていくことに尽きます。ことばで伝えないと、あなたの気持ちは相手の心に絶対に届きません。気持ちが通じ合わないと相手とうまくつながることはできません。これはどうやら真実のようです。

 

他の人の悲しい、つらいできごとを、あなたは変えてあげることはできないかもしれません。でも、その人とともに居いてあげることはできるかもしれません。相手の気持ちに共感することはとても素敵なことです。私と一緒に共感することを学びませんか。


09-07-10

先日、夏休みをいただいて、スピリチュアルスポットとして最近人気の高いシャスタ山に行きました。シャスタ山は、カリフォルニア北部にある4322mの山です。私はこの土地のおだやかな雰囲気がとても好きで、四年連続行っています。

 

夏のシャスタ山には高山植物が咲き、今年は山頂に雪がまだ残っていて、小川には水があふれ、たいへん美しかったです。山からすばらしい気が満ち溢れています。

 

シャスタの一番の名所は、パンサーメドーといわれる場所です。ここは先住民が聖地として大切にしている場所で、そこには山からの水が湧き出ている源泉があります。その源泉は特に神聖な場所とされているので、人が直接入れないように白いつなが張られていました。その源泉の周りの白いつなの外側に、人々は腰を下ろして、しばし瞑想にふけったり、高山植物の咲く野原を眺めながらゆったりと過ごしています。

 

今回、私がその源泉を訪れたとき、ある女性が水筒を片手に、そのつなをくぐって入って源泉から直接水をくもうとしていました。この源泉には直接手を触れてはいけないと私は聞いていたので、彼女の行動にはとてもびっくりしてしまいました。彼女の行動を止めたい、でもどのように言おうかと、内心かなり迷いました。しかも、ここはスピリチュアルな場所。もしその女性と口論になって、もし源泉の神様(?)が聞いていたとしたら、いったいどのように思われるだろうかと、自分の心にしばし問いました。私は先住民の信仰はよく分からないけれど、この源泉は日本の神社のご神木などと同じ意味を持つものなのだろうと直感しました。

 

結局、私は自分の心に正直に従おうと決め、「私はあなたに源泉から直接水をくむのをやめてほしい。白いつなが張ってありますよ。あなたが直接水を汲むのを見るのは、私は心地悪いの。なぜならば、私はこの源泉を神聖なまま保っていたいと思うから。」と、できるだけおだやかな口調で女性に語りかけました。その女性は不満そうでしたけれど、「あなたが心地悪いのならやめておくわ。」と言い、その場を立ち去りました。私は彼女に「私のお願いを聞いてくれてどうもありがとう」と心から言いました。

 

私は自分の行動が正しいのかどうか、正直、今も分かりません。でも、自分の心に従い、言いたいことを、相手を尊重しながら言うことができたことを私は後悔していません。

 

スピリチュアルスポットは、他の生活の場所と全く同じように、そこには人が行きかい、そしてコミュニケーションのやりとりがあるという点では、特別な場所ではないことをこのやりとりで私は学びました。

 

私はコミュニケーションの専門家として、健康的に言いたいことを言う方法を、セッショの中で希望する方々にお伝えしています。しかし、以前は、私は言いたいことをためらわずに言うことなど簡単にできませんでした。言いたいことを心の中に溜め込み、そのうちに爆発して怒り出すこともよくありました。言わずに人に私の気持ちを察してもらおうと思っていたのです。また、気持ちをため込み、ストレスになって体の不調をおぼえることすらありました。しかし、アメリカに来てから、自己主張する人々のいるこの国で、言わないですます方法では生きていけないとようやく気づいたのです。また、言わないでためこむやり方は、日本であってもどの文化でも、不健康なコミュニケーションだということも学びました。今は健康的なコミュニケーションを練習したので、今では言いたいことをずいぶん言えるようになりました。でも現在も日々練習が必要です。

 

あの女性に、「源泉のお水、汲んで飲みたいんですよね」ともっと共感を示したらよかったかな、と言い方についてはまだまだ試行錯誤中です。私もみなさんと同じ、成長途中の人間です。私と一緒に、健康的なコミュニケーションについて考えてみませんか。


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